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各巻内容詳細
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第1巻
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■国産コンピューター ゼロからの大逆転〜日本技術界 伝説のドラマ
昭和49年、一台のコンピューターが世界中を驚愕させた。富士通が開発した大型コンピューター「M‐190(アメリカでの形式「470V/6」)。
世界最速の演算速度を実現し、巨大企業IBMの性能を凌駕。NASAやベル研究所など、世界最高の頭脳集団へ輸出された、初の国産コンピューターである。
挑戦が始まったのは昭和20年代、リーダーは当時弱小の電話機メーカー富士通の技術者、池田敏雄。プロジェクトルームはトンカツ屋に、駅のホーム。会社には行かず、様々な場所で若手と議論を闘わせた。「挑戦者に無理という言葉はない」。
立ちはだかったのは世界シェア7割を占める巨人IBM。資金力や技術力の差は「象と闘う蚊のようなものだ」と笑われた。池田たちが何度、コンピューターを開発しても、更に性能の高いIBMのコンピューターが市場を席巻していった。
さらに昭和39年、IBMは新世代コンピューター「360」を開発。ソフトさえ入れ替えれば、一台で様々な機能を果たすことができる革命的なコンピューターの登場だった。世界最大手の電機メーカーすら、コンピューター部門から撤退していた。
しかし池田は諦めなかった。昭和46年、当時不可能といわれた大規模集積回路「LSI」の搭載に挑んだ。4ミリ四方に数千本もの配線。チップの温度は瞬く間に200度を超え、焼き切れた。LSI同士をつなぐ配線は複雑に絡み合い、まるで「もりそば」。設計は困難を極めた。3年後いよいよコンピューターが完成する目前、信じられない悲劇が襲った。
ゼロから出発し、世界最高の「頭脳」を作り上げた日本の技術者たちの、語り継がれる伝説のドラマを描く。
◎出演:野澤興一(元富士通)/鵜飼直哉(元富士通)/石井康雄(元富士通)
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第2巻
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■運命のZ計画〜世界一売れたスポーツカー伝説
昭和44年、一台の日本製スポーツカーが登場した。フェアレディーZ。発売後たちまちアメリカ市場を席巻し、スポーツカーとしては世界一、140万台の売上を記録した伝説の名車である。その開発の陰には、日の当たらない部署で仕事に打ち込んでいた自動車マンたちの執念があった。
昭和35年、一人の男がアメリカに渡った。片山豊、50歳。日産自動車で宣伝畑を歩いていたが、突然渡米を命じられた。当時、日本車は輸出が始まったばかり。片山は売り込みに走るが、「日本車はハイウェイを走るとすぐ故障する」「デザインも陳腐」と言われ、在庫の山がほこりをかぶっていた。
ある時、片山はスポーツカーに目をつける。ポルシェやジャガーなど人気のスポーツカーは、庶民には高嶺の花。「手頃な値段で高性能なスポーツカーを作れば、きっと売れる。」
しかし、当時日本では大衆車が主流。スポーツカーなど売れないといわれていた。その時、立ち上がったのは、遊園地のゴーカートを作っていた若手デザイナー、特殊車両専門の設計者たち。皆、いつかは自分の手で花形の車を作りたいとの思いを秘めていた。
開発は、デザインとハードの激しいせめぎ合いとなった。デザイナーが思い描いたのは、低い流線型の斬新なシルエット。しかし、新型6気筒エンジンを積み込むと、ボンネットに収まらず出っ張った。さらに特徴的な短い後部のために斜めに取りつけたシャフトのせいで、斜体は激しく振動した。メンバーは試行錯誤を重ね、アメリカのフリーウェイでテスト走行を繰り返す。
全くの手探りで開発に挑んだ日本製スポーツカーが、世界的評価を獲得するまでの知られざる自動車マンたちのドラマを描く。
◎出演:片山 豊(元アメリカ日産)/松尾良彦(元日産自動車)/
植村 齊(元日産自動車)
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第3巻
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■わが友へ 病床からのキックオフ〜Jリーグ誕生 知られざるドラマ
今や、国内最大の競技人口を誇るサッカー。全てはプロリーグ「Jリーグ」の誕生に始まった。しかし、かつて日本サッカーは、アマチュアリーグしかなく人気がなかった。サッカー場の観客席は、空っぽ。サッカーに夢を抱く子供は殆どいなかった。「企業スポーツから脱却して、地域密着のプロリーグを作りたい」。立ち上がったのは、不治の病に倒れ、夢破れた元サッカー選手・木之本興三。
古河電気工業に入社した木之本は難病・グッドパスチャー症候群にかかり、腎臓を切除。仕事は無理だと宣告された。長い闘病生活。この間にオイルショックが直撃、多くの企業が社会人スポーツから手を引いていた。復帰した木之本は、古河電工サッカー部で一緒になり、弟のようにかわいがっていた天才ストライカー、永井良和が辞職を考えていることを知り、プロリーグの設立を決意する。そして木之本の情熱に、男たちが終結する。
しかし、その道は困難を極めた。「プロなど作って失敗したら、選手が路頭に迷う」。スポーツのアマチュアリズムを掲げる日本サッカー協会は反対。また、チーム名から企業名を外すことに、スポンサーの大企業が猛反発した。「100年かかっても無理だ。」周囲の目は冷たかった。しかし木之本は、週三回、人工透析を続けながら、執念で説得を続けていく。元日本代表監督・川渕三郎の尽力、企業名を出さないトヨタ自動車のリーグ参加、住友金属工業と鹿島による町おこし運動、そしてサッカーの神様ジーコの招聘…。
地域密着のプロリーグ・Jリーグ創設に命を賭けた男たちの、情熱と友情のドラマを描く。
◎出演:木之本興三/永井良和
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第4巻
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■制覇せよ 世界最高峰レース〜マン島・オートバイにかけた若者たち
昭和36年、日本製のバイクが世界の度肝を抜いた。オートバイのオリンピック「マン島TTレース」で、ホンダのマシンが1位から5位を独占した。日本初の快挙の裏には「友の夢を果たす」という男達の誓いがあった。
昭和29年、本田技研工業は経営危機に陥っていた。不況と相次ぐマシントラブルへのクレーム。ある日、本田宗一郎はみかん箱の上に立つと従業員の前で宣言した。「オートバイのオリンピックがあるぞ。イギリス・マン島のTTレースに出場する。」
レース用のマシンの開発は河島喜好ら若き技術者に託された。斬新なアイディアを盛り込み試作したエンジンは、思うように動かなかった。ライダーは社内から公募した。限界までコーナーを攻め続ける秋山邦彦。しかし出場した前哨戦は惨敗だった。
開発から5年、マン島へ旅立つ直前、悲劇が襲った。映画の撮影に協力するため箱根を走っていた秋山が、トラックと正面衝突。帰らぬ人となった。河島たちメンバーは、秋山の遺髪をマン島のコースが見渡せる小高い丘に埋め、優勝を誓った。
しかし、結果は最高6位。ヨーロッパ車との性能の差は歴然だった。それから2年、技術者たちはマシンの開発に全てを賭けた。1000分の1秒の狂い無く動く4バルブエンジンの設計。8万通りを数えるギアの組み合わせ。そしてライダーたちは、石をつめたリュックをかつぎ、高速コーナーに耐えうる足腰を鍛えた。そして昭和36年6月12日、秋山の志を胸に運命のスタートラインに立った。後に「まるで時計のように精密なエンジン。独創的なアイディアに満ち溢れている。」と世界から絶賛されたマシンが、出走の時を待っていた・・・。
◎出演:河島喜好(元本田技研工業)/久米是志(元本田技研工業)
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第5巻
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■桜ロード 巨大輸送作戦
昭和35年、奥飛騨山中で敢行された大木の移植工事。繊細で幹が傷ついただけで枯れてしまう老桜。その移植は世界でも例がなかった。「絶対不可能」といわれた世紀の工事をやり遂げたのはダムに沈む村を思う男たちの執念だった。
合掌づくりで名高い白川郷の近隣、岐阜県荘川村に、かつてその桜はあった。樹齢400年、高さ20メートルの大木。春は村人総出の花見。子供たちは桜吹雪の中で入学式を迎えた。しかし昭和27年、衝撃的な知らせが飛びこんできた。ダムの建設が決定。村は水底に沈むことになったのである。村人たちは桜の木にすがって泣いた。通産大臣だった高碕達之助は、その老桜を移植したいと考えたが、専門家に無理と言われ断念する。しかし、意外な助っ人が現れた。戦争末期、特攻基地に、戦地で散る兵士の数と同じ数の桜の苗木を植えた豊橋の植木職人・丹羽政光。丹羽は弟子たちと前代未聞の「桜移植プロジェクト」を立ち上げる。
ダムに水をため始めた昭和35年11月、世紀の移植工事が始まった。移植先は600メートル離れた山の斜面。枝が折れただけでも枯れてしまう桜の根をていねいに掘りだし、最新鋭のクレーンで引き上げようとするが、あまりの重さで動かない。そして重心を崩した老桜は横倒しになってしまう。常識を超えた移植作戦に植木職人をはじめ、ダム従業員総出の作業が続いた。 日本人にとって特別な花「桜」の移植を成し遂げた人々の奇跡の物語を描く。
◎出演:内藤重明/田下昭夫/永谷昭治
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第6巻
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■男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける
不況の中、猛烈な勢いで売上を伸ばしている商品がある。デジタルカメラ。通称デジカメ。フイルムも現像も必要なし。撮ったその場ですぐに見られ、インターネットで瞬時に遠く離れた場所に送ることができる夢のカメラである。1995年、世界で初めてデジカメを大ヒットさせたのは、カシオ計算機の末高弘之率いる若き技術者たちだった。
1987年、バブルの絶頂期に末高たちは静止画をテレビに映す最初の製品を発売。しかし、動画の撮れるカメラが流行し始めたため、全く売れなかった。残された大量の在庫と赤字。会社はカメラ事業から撤退、プロジェクトは解散となり、末高たちも商品に直結しない研究部門に異動となった。
そんな中、末高たちは秘密のプロジェクトを結成し、ひたむきにデジタルカメラ開発を続ける。しかし、予算がなく寄せ集めの部品で作ったため、できた試作品の重さは3キロ、商品化にはほど遠かった。
苦難を乗り越えるバネになったのは、戦後の日本を支えてきた物作りへの熱い思いだった。地道な開発努力はやがて小型化に結実。パソコン時代の到来を見事に読み、大ヒットへとつなげていく。
バブルに翻弄されながら、物作りの夢をあきらめず、デジカメ開発を続けた若者たちの10年におよぶ執念のドラマを描く。
◎出演:末高弘之(カシオ計算機)/富田成明(カシオ計算機)
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第7巻
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■幸せの鳥トキ 執念の誕生
トキ。学名ニッポニアニッポン。かつてアジアの空で、数百万羽が薄紅色の美しい羽をはばたかせていた。「トキを見ると幸運が訪れる」。アジアの人々にとってトキはかけがえのない鳥だった。しかし20世紀に入り、環境が激変。佐渡と中国の奥地に僅かに残るのみとなった。
「幸せを運ぶ鳥を守ろう」。佐渡の高校教師・佐藤春雄と、トキ保護センターの若き研究者・近辻宏帰たちが立ち上がった。生態をくまなく調査。保護活動を広げていった。そんな中、人里に迷い出てきた1羽の幼いトキ。鳥を呼ぶ技術を持つ宇治金太郎によって捕えたそのトキに、金太郎から一字もらい、近辻はキンと名づける。
しかし昭和56年、野生のトキは5羽まで激減。環境庁は人工繁殖にかけようと一斉捕獲を実施。賛同する近辻。そして反対する佐藤。そして日本の空からトキは消えた。その直後、驚くべきニュースが飛び込んだ。中国では既に絶滅していると思われていたトキが7羽、山奥で見つかった。佐藤は、長年研究を続けてきた資料をすべて中国側に渡した。中国政府は山への立ち入りをきびしく制限、その資料をもとにトキ保護プロジェクトが始まった。そして近辻のもとには中国から席咏梅(せきえいばい)が人工繁殖の技術を学びに来た。懸命にメモをとる彼女に近辻は自分の技術を託すことに決める。しかし一方、トキ保護センターにいた4羽のトキは次々に死に、老いていった。
平成7年、ついに最後の雄ミドリが死亡した。残るは雌の年老いたキン1羽。責任者の近辻は絶望した。その時、思わぬ援軍が現れた・・・。
アジアの鳥を蘇らせようと、半世紀にわたり執念を燃やし続けた、国境を越えたドラマ。
◎出演:近辻宏帰(佐渡トキ保護センター長)/佐藤春雄/席咏梅
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第8巻
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■家電元年 最強営業マン立つ〜勝負は洗濯機
昭和28年。日本人の暮らしを大きく変える製品が現れた。日本初の噴流式洗濯機「SW-53」。頑固な汚れを7分で落とす性能。狭い日本の住宅に適したコンパクトなボディ。価格は従来の外国製洗濯機の半分。家電製品としては初めて、年間6万台を売り上げる大ヒット商品となり、家電時代の扉を開けた。
挑んだのは、三洋電機社長の井植歳男。井植は、14歳から義理の兄・松下幸之助が始めた松下電器を手伝い、大きく成長させた辣腕営業マンだった。しかし終戦後、GHQの公職追放令で、松下を去った。そして自転車用ランプの生産を手がける小さな会社「三洋電機」を作った。
当時、女性にとって洗濯は最も過酷な家事だった。道具はたらいと洗濯板だけ。1日数時間かかる過酷な手作業。5人家族で1年間に洗う洗濯物は2万枚、重さは象1頭分になった。
井植は琵琶湖の畔の古びた工場を買い取った。そこは、業績不振で閉鎖された元・松下金属の工場。後片付けをしていた若い技術者がいた。山下友一、27歳だった。山下たち6人の社員は井植から庶民には高嶺の花といわれた電気洗濯機の開発を託された。
大手メーカー各社も開発にしのぎを削る中、井植は言った。「ライバルは他社ではない。お客のこころだ。」メンバーは高性能で安価、電力事情の悪い日本の家庭でも使える洗濯機の開発をめざす。新婚の山下は洗濯で荒れた妻の手を見て奮起した。
しかし、やっと作り上げた洗濯機は売れなかった。「女性の仕事に機械はいらない、ぜいたくだ。」と男性中心の社会の意識が壁となっていた。その時、「伝説の営業マン」井植があの手この手の営業作戦に打って出た・・・。
お客の心」にこだわり、日本の家電時代を切り開いた男たちの熱きドラマを描く。
◎出演:山下友一(元三洋電機)/岡田隆夫(元三洋電機)
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第9巻
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■救命救急 ER誕生〜日本初 衝撃の最前線
〜南極観測・日本人が結集した880日(2回シリーズ前編)
昭和41年、万博開催を4年後に控えた大阪は、交通量が増え事故の発生が、年間7万件を超えた。しかし、重症患者を治療できる病院は少なく、「たらい回し」が社会問題となった。
大阪府は大阪大学付属病院に24時間重症患者を受け入れる施設の設置を要請。昭和42年8月、日本初の「特殊救急部」が誕生した。リーダーは34歳の杉本侃(つよし)。杉本は4年前、事故で運ばれてきた重症患者が最後に「子供を頼む」と振り絞るように言った言葉が苦い記憶として残っていた。救急医療にかけたいと自ら申し出た。集ったメンバーは皆20代から30代の若者だった。
第一号の患者は、入れ墨の男。抗争事件で腹を刺されていた。「人殺しを助けるのか」と学内から揶揄(やゆ)された。その後の患者の多くは「指を切った」「目にゴミが入った」など軽傷者。メンバーの気持ちはなえていく。
ある日、交通事故で全身傷だらけになった「多発外傷」の患者が訪れる。メンバーは頭や内臓など懸命に処置。しかし、全く傷のない肺の機能が低下し、患者は亡くなった。理由が分からなかった。以来、多発外傷との闘いが始まる。
血の海、緊迫した声が飛び交う医療の最前線。若き医師たちはそれぞれに人の命を救えなかった経験を持っていた。修羅場の中で、彼らは懸命に自分の専門分野を磨いていく。そして、再び多発外傷の患者が運び込まれて来た。杉本以下、メンバーは総力を挙げ、消えゆく患者の命と向き合った。そして運命の一瞬・・・。
目の前の命を守りたい。」日本初の救急医療に挑んだ若き医師たちの壮絶な闘いのドラマを描く。
◎出演:杉本 侃(元大阪大学特殊救急部)/島崎修次(元大阪特殊救急部)
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第10巻
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■料理人たち 炎の東京オリンピック
昭和34年、東京オリンピックの開催決定に日本中が沸いていた。しかし、大きな問題が起きていた。選手村の食事作りである。
世界90カ国以上の国々から集まる選手たち。その数、実に7000人。世界中の料理、2千種類以上という、空前の規模の食事を作らなくてはならなかった。しかし、当時、日本の料理界の力は世界に未知数。世界各国から不安の声が上がった。
料理作りに挑んだのが、帝国ホテルの料理人、村上信夫をリーダーとする一流ホテルのシェフたちだった。戦前から厳しい料理修行を積み、パリにも留学、最高のフランス料理を極めようとしていた村上。このプロジェクトに、料理人の誇りをかけて挑むことになった。
村上らは、世界各国の料理メニューを作るべく奮闘する。問題は、知識の全くない、東欧・アフリカ・中南米などの料理。村上は、在日大使館に赴き、大使の妻などに、料理法を学び続けた。更に大きな問題が立ちはだかった。膨大な量となる食材の確保である。唯一の対策方法は冷凍食材を使うこと。村上たちは、冷凍食材を工夫して調味すれば味が落ちないことを確信。大臣を招いての試食会でそれを証明する。
そしてオリンピックの開幕。膨大な食事を作るために、村上の元に、300人の若手料理人が全国から集められる。村上らの作ったオリンピックメニューのレシピをもとに腕を磨いた街の大衆食堂の調理師もいた。しかし、その時、各国選手団が連れてきた自国のエリートシェフたちが厨房に登場。更に、オリンピック開催中、料理人たちの身に、事件が襲いかかる。
果たして、日本人料理人の食事を世界の選手は満足してくれるのか。東京オリンピックを支えた料理人たちの知られざる料理作りを描く。
◎出演:村上信夫(元選手村食堂料理長)/皆川吉勝
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